【旅の回顧録】2007年ベトナム旅行記1〜ちょこっとベトナムかじり「ブンタウの知人を訪ねて」〜
以下、2007年のブログより
「働かない気満々だね(笑)」
と会社の同期に言われつつ、
11月の3連休にさらに有給2日をくっつけてベトナム散歩に行ってきました。
初ベトナムです。
ベトナムで働く知人に色々と案内してもらうはずが
予期せぬ台風接近で知人の予定がくるい
結局半分が一人あるき。
国内なら何回か破天荒な一人旅を経験済みの私ですが
海外旅行ではまず真っ先に「旅のトラブル」を読んでは怯えておりました。
でも、
今回の「予定外半分一人旅」では
また1つたくましくなってしまったような気が・・・。
ということで
ベトナムでのちょいと素敵な経験を
ゆるりゆるりと紹介していければと思います。
<2007年のブログ記事「ちょこっとベトナムかじり」より>
<以下は2016年7月に追記>
2007年に初めてベトナムに行きました。
東南アジアを旅したのは同じ年に友人と行ったカンボジアに続き2回目でした。
上記の当時のブログにある通り、
ベトナムの、ホーチミンから船で1時間ほどのところにある
「ブンタウ」というところで働く知人がガイドをしてくれる予定になっていたので、
何にも心配なく出発したはずが、結果としてほとんど一人旅になってしまったのでした。
利用したのはベトナム航空で、まずはホーチミンに到着。
初めに驚いたのはその交通量でした。
膨大な量のバイクが、流しそうめんのように
忙しなく道を走っていたんです。
間も無く出発してしまうブンタウ行きのフェリー乗り場に向かって慌てていたけれど
信号もなく一体どのタイミングで道を渡れば良いのかとオロオロとしていたところ、
通りかかりのベトナム人紳士が手を取ってくれて
一緒に道を渡ってくれたのを今でも良く覚えています。
「ああ、なんだ、こうやって渡るのね。」
勇気を出して、初めの一歩を踏み出すと
不思議なことにバイクも車もみな
自分を避けて走ってくれるのでした。
これは東南アジアの多くの国に共通して言えることですが
歩行者優先でも、車優先でもないのです。
「勇気優先」なのです。
さて、フェリーに乗って1時間ちょっとくらいだったでしょうか。
友人の働くブンタウという町の船着場に到着しました。
今でこそホーチミンから日帰りで行けるビーチリゾートとして
開発の進んでいるらしいブンタウですが、
ブンタウという街にいったい何があったのか、
私はほとんど覚えていません。
知人に案内してもらったブンタウのことで
かろうじて覚えているのは、▼丘の上にそびえ立つキリスト像のことです。
この写真だとずいぶん小さく見えますが、
実はキリストの中に入ると展望台になっています。
人が入れるくらいには大きい像なんです。
そして、当時キリスト像の中から撮影したブンタウの様子がこんな感じでした。
もう10年も前の写真なので、今はだいぶ変わっているのでしょう。
当時のブログで少し触れていますが
実はこのとき、ブンタウには台風が接近していたのです。
石油関係の仕事をしていた知人の予定が狂ったのも
その台風のせい。
海が淀んで見えるのも、
今になって思えば台風のせいだったのでしょう。
キリスト像に登った感想は、正直言って
「ふーん、こんな感じか」というものでした。
私にとって大変だったのは実はブンタウ観光の後でした。
行きには乗れたフェリーが台風の影響で帰りは運行していないと言うのです。
そこで急遽、ホーチミンからバスで帰らなくてはいけないことになったのですが
知人は仕事の関係で一緒に来ることはできなかったため
一人で約4時間のマイクロバスの旅をすることになりました。
私を見送るときの知人の不安そうな顔、
今でも良く覚えています。
でも向こうから見たら私の方がもっと不安そうな顔をしていたのでしょう。
なにせ、運転手も一緒に乗っている人たちも、
何を喋っているのか、言葉が全くわからないのですから。
ホーチミンの「ホ」の字すら頭をかすらないベトナム語が行き交う中
本当にホーチミンに帰るバスなのかも
よく分からないままブンタウを出発。
見ただけでもしんどい交通量の中を
バスで4時間かけて走ったわけですが、これが本当にしんどかった。
何がしんどかったって、
ワゴン車の中に現地人と混じってぎゅうぎゅう詰めにされたうえに
走行中クラクションがずーーーーーーーーっと鳴り止まないこと。
ただでも本当に無事に帰れるのか不安で吐きそうな気分なのに
走行中、4時間、絶え間なく頭が割れるようなクラクションの音を
聞かされるわけです。
旅で本気で気が狂いそうになったのは
後にも先にもあのバスしかないような気がします。
なんとかホーチミンにたどり着いたときの安心といったら
それはもう。笑
海外旅行に慣れていた訳ではなかった中で
予期せず半ば強制的に一人旅になってしまった、
この時の体験があったからこそ
その後バックパッカーとしての旅に目覚めたのでした。
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