【旅の回顧録】2007年カンボジア旅行記6〜トゥクトゥク最終章〜
2007年にカンボジアに初めて旅行した時の記録を
過去ブログから転載しているシリーズ。
今回が最終回です。
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【旅の回顧録】2007年カンボジア旅行記5〜トゥクトゥク3〜
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この2週間、国内出張が相次いだ。甲府、広島、長野、浜松・・・
甲府の森に行っても、長野の無人駅に行っても、何処に行っても、
つい思ってしまうのは、やっぱり良かれ悪かれ「日本」だということ。
鉄道が通り、道路はしっかりと舗装されている。
私はといえば、豊かさ故の国民病である肥満対策の商品を考えて、給料をもらう。
(追記:当時私は化粧品会社で健康食品の企画開発の仕事をしていた)
なぜだろう。
都会の雑踏と高層ビルにまみれるとなお、あの土ぼこりの臭いが恋しくなる。
もともとそういう性質なのだろうか、私は。
さて、書きあぐねていた旅の続きを綴ろうと思う。
旅の最終日の朝、
約束をしていた笑顔が素敵なトゥクトゥクのドライバーはやってこなかった。
約束の時間、ホテルのロビーでくつろいでいると
見知らぬ顔のトゥクトゥクドライバーがやってきて言った。
「あなた達はMr.×××(←たぶん名前を言ってた)のお客さんですか?
彼は今日忙しくて来られません。代わりに私が頼まれてやってきました。」
Mr.5242の名前は確かトレンサップ湖のボートの上で聞いたはずだったが
私も友人Sも、すっかりそれを覚えていなかった。
もしかしたら悪質なくどき文句かも知れない。
うかつに乗せられたらぼったくられるかもしれない。
今、我々の目の前にいる彼の言葉を確かめる唯一の手がかりは、
あのジャケット№、すなわち「NO.5242」だった。
友人Sがたずねた。
「その人のジャケットナンバーは何?」
すると、目の前のトゥクトゥクドライバーは少し困った表情をして、
携帯電話で誰かに連絡を取り始めた。
携帯を切ると彼はペンを持ち、その辺の紙を持ってきて何かを書き始めた。
「5242」
間違いはなかった。
今まで私達を案内してくれていた親切なトゥクトゥクドライバーのナンバーだった。
我々は彼を信じることにした。
今日はMr.5242と一緒に記念撮影をしようね。
お礼をたくさんしようね。
友人Sとそんな話をしていただけに、
我々はこの上なく残念な気持ちだった。
「忙しいって何よ!!私達より大事なお客様が現れたって訳!??」
と、どこぞの恋人同士の会話かと思うような愚痴をこぼしながら
これでMr.5242に会えないかと思うと、とにかく悔やまれてならなかった。
そうだ、Mr.5242に手紙を書いて渡してもらおう!
彼の協力がなかったらこの旅はこんなに有意義にならなかったはずで、
その感謝の気持ちをチップでしか表せなかったことに対し、
私は先進国出身者の卑しさや後ろめたさを感じていた。
お金では買えないとても温かいものをくれたMr,5242に対して
たとえそれが不必要で迷惑であっても、
心を込めた言葉をカタチにしてプレゼントしたかったのだ。
我々はホテルのお土産屋さんでポストカードを探し始めたのだが、
カンボジア人にカンボジアの絵葉書あげるのもねぇ・・・という話になった。
それじゃあということで、たまたま持っていた私のスケッチブックに、
昔書いたへんてこなイラストがあったので
それにコメントを書いて送ろうということになった。
そのほうがオリジナルでいいんじゃない?と。
カンボジアでの最後の食事をしながら
私達はMr.5242と、その代理で着てくれたMr.0247に手紙を書き始めた。
まねして書くにも複雑すぎて良く分からないカンボジア語を、
ためらうことなく大真面目に書き始める友人Sの
そういうところが私は好きだし尊敬する。
彼らの未来が明るいものでありますように。
笑顔が再び奪われることがありませんように。
そんな願いをこめながら、
ガイドブックに書いてあるカンボジア語をまねる。
旅の最後、Mr.5242に渡してくださいと、
代理で来たドライバーに頼んだ。
もちろん彼の分も手渡した。
我々の書いたカンボジア語に、優しい笑いを浮かべ、
「サンキュー」と彼はつぶやいた。
最後にトゥクトゥクのドライバー席に乗せてもらい記念撮影をした。
少年のような純粋な笑顔が、また一つ我々の胸に刻まれた。
我々は彼らにドライバーをしてもらってとても幸せな旅を送ることができたから、
彼らにも面白い日本人レディースに出会えてよかったと思ってもらえますように。
カンボジアで乗ったトゥクトゥクは実は他にも幾つかあった。
どのドライバーも、
「トライ ナッハ(高すぎます)」と「オー クン(ありがとう)」
それと「リア ハウイ(さようなら)」をつかえば、
人懐こい笑顔を浮かべ楽しんでくれている様子だったのが印象に残っている。
余談だが、「リア ハウイ(さようなら)」を、
私は最後まで「ビア ハウイ」だと思っており、そう発音していた。
「覚えやすいなぁ」と最初に思い、信じて止まなかった自分に対し
我ながら呆れた。
帰りの飛行機の中で、私はもっとこの国のことを知りたいと思った。
カンボジアが悲しい歴史を抱えているということは
何となく歴史の授業で習ったくらいで、
それ以上のことは旅の前にも勉強していかなかった。
日本に帰って少し調べただけでも、
未だにカンボジアでは地雷で手足を失ったり死に至る人が大勢いる。
日本では考えられない悲しい現実を、なぜもっと早く知り、
歴史に目を向ける視点でカンボジアを訪れることが出来なかったのか
後悔が残った。
私は知りたいと思った。
日本でも戦争はあったけれど、
ある日突然平和が訪れた瞬間のことなど私が知るよしもなく、
だからこそ尚更、苦しい歴史を経験しているはずの人たちが、
なぜあんなにも純粋で美しい笑顔を見せられるのか、
その理由を知りたいと、切に思った。
今、そしてこれから、
自分に何が出来るのかは正直わからない。
また、日常の生活に戻ると、徐々にそんな思いも薄れてしまうのかもしれない。
でも、少しづつ出来ることを探し出していきたい、どんな小さなことでも。
そう思った。
おわり
2007年8月のブログより転載
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